思い出の高校時代

思い出の高校時代




 春の県民レガッタが行われた佐鳴湖漕艇場。このころは、まだ県内大会は佐鳴湖で行われていました。


 あいにくの雨となってしまったこの大会。シェルフォアは、我々浜松西Aが勝ち取りました。


 この62年度は、ナックルフォアも浜松西Aが優勝し、初の総合優勝を勝ち取りました。



 そして迎えた6月のインターハイ静岡県予選。決勝に臨む浜松西Aクルーです。


 隣は連続出場を狙う浜松北Aと強豪湖西Aでした。


 前半出遅れ、ラスト100mでやっと追いつき、0.92秒差で優勝を勝ち取りました。浜松西高ボート部、創部以来、念願だったインターハイ出場を決めた瞬間でした。


 インターハイ出場クルー。左から、3安永光宏、2脇本武彦、S小笠原弘樹、B徳増秀彦。前列はC鈴木政晴。



 北海道網走で行われたインターハイ。ボート競技開会式での模様です。

 全国大会出表を決め、OB会が部旗を作って寄付してくださいました。


 旗手を務めるのは、脇本。後ろに見えるのは、ナックルフォア代表の清水南高、その後ろは、シングルスカル代表の浜松北高(鈴木)です。


 8月開催にもかかわらず、さすが北海道。長袖のウェアでちょうどよいコンディションでした。


 記念撮影。顧問の田中志先生と。



 大会前日の朝のランニング。6:00起床だったように記憶しています。


 公式練習で、初めての借艇を経験。それまで、県内大会では地元佐鳴湖での大会だったため、自艇以外の艇に乗るのは初めての経験。デルタの艇のリギングに手こずりました。



 宿泊のホテルは「ビューパーク イン」という網走湖をのぞむ丘の上にありました。
 ホテルでは終始、リラックスしていました。副顧問の景山先生が撮影してくれたビデオをよく見ました。(写真後方に写っている)



 大会当日。予選1日目。受付と監視も初めての経験でした。


 大会の公式写真の撮影。この写真は、その後方から下級生の木下が撮影したものです。


 リギングする脇本。当時はリギングの仕方も、この全国大会のために覚えたのでした。


 予選に向かう。この時は、スタートに向かう途中で3番のクラッチが外れ、発艇委員に申告し、一度陸で調整し直したためスタートを待ってもらいました。
 こうしたハプニングも初経験で、事前に田中先生から対応を聞いていなければ、そのまま諦めてスタートしてしまうところでした。


 そしてスタートした予選レース。スタートには自信があったものの、全国で通用するかどうかは、このレースをするまで半信半疑でした。
 しかし、スタート直後に飛びだして、自分たちの実力を信じることができました。


 隣から追ってくるのは、本荘高(秋田)。この後、終盤に逆転されますが、予選は2位あがりだったため、後半は流しました。



 これは準決勝前のウォームアップ。「ここが勝負。」と田中先生。ラストスパートでどのくらい伸びるか、決勝を前に試しておく作戦が伝えられました。



 決勝の受付を済ませ、配艇された艇の前で。リギングにとりかかろうとしているところです。
 リギングも練習日から数えて5回目。不具合も分かってきて、手際よくできるようになりました。


 準決勝をタイムの上では僅差の2位で抜け、決勝レースに臨む、直前ミーティングの様子です。
 田中先生からは「3位と4位では大きな違いがある。前半からとばして、何が何でも3位に食い込め。」との作戦。この時は、「優勝できる」と信じていた時間です。


 決勝レース終了。夢叶わず、全国の壁を思い知った4位。優勝は、準決勝では圧勝した八百津高校(岐阜)。大きなレース慣れしている経験の差で、決勝はスタートからぶっちぎられた。前半4位。中盤で1艇抜くも、終盤で予選で当たった本荘高校(秋田)に逆転を許し、結局前半のままの4位。高校3年間のボートが終わった瞬間です。


 このあと、表彰式があったのですが、この記憶だけが、ほとんど抜け落ちています・・・。



 帰りの飛行機を待つ。3年間を共に過ごした、安永、脇本、鈴木政、小笠原。
 (徳増は2年生で、次の年、2年連続インターハイ出場を果たすことになる。)



 3年間、ボート部として苦楽をともにした仲間たち。
 
 社会人となった現在、浜松に勤務・居住する者が多く、「さなる湖会」として、年に数回、市民大会に参加しながら、ボートを楽しんでいる・・・。