この代では、最年長の組(昭和62年度卒)。高2時代、シェルBとしてクルーを組んだメンバーが久しぶりに集まる。この代は、創部以来、初のインターハイ出場を果たした。全国制覇を賭けて臨んだ決勝レースも4位に終わった。
この代は、ほとんどのメンバーが浜松に戻り、「さなる湖会」としてボート大会に出場している。
昭和63年度卒。2年連続インターハイ出場を果たした。この代は、浜松へ戻ってきているメンバーが半数。東京、横浜、大阪・・・など、全国へ散っている。
なお、この会は、この代が卒業10年を迎えたことから、主催された。
この3代では、一番若い世代(平成元年度卒)。この代は浜松にいるメンバーがなく、この会で久しぶりに集まった。この代以来、インターハイ出場からは遠ざかっている。
当時顧問の田中高志先生(現 静岡市立商業高 校長)も迎え、高校当時の話で盛り上がる。
2次会はボーリング大会(現在 午後4時)。”何十年ぶり”という田中先生も若さを見せた。結果は、自ら「プロ級」と豪語する花嶋(平成元年度卒 部長)の優勝。以下、塩崎(昭和63年度卒)、伊藤直史(昭和62年度卒)・・・と、若さがものを言った結果となった。